その名作とは、1966年発表の「Blonde On Blonde」。本作はディラン、7枚目のスタジオアルバム。当時ディランはThe Bandの前身、The HAWKSを次期ツアーのバック・バンドとして起用する事を決定し、1965年10月にNYで開始されたレコーディング・セッションにも、THE HAWKSが参加。ただそのレコーディングは行き詰まりを見せてしまい、結局THE HAWKSからロビー・ロバートソンとリック・ダンコを残し、アル・クーパー等を呼び戻して、「One Of Us Must Know (Sooner Or Later)」だけ完成させ、取り合えず1966年2月に先行シングルリリースしました。
アルバムトップの①「Rainy Day Women #12 & 35」からインパクトあります!邦題「雨の日の女」。マーチングドラムが鳴り響く、鼓笛隊スタイル…。後ろでは誰かがはしゃいでいるし、ディランは途中で笑っているし…。ディランらしくない(笑)。1曲目から引き込まれます。
前述の④「One Of Us Must Know (Sooner Or Later)」。ビックリするくらいの完璧なフォーク・ロックですね。アップしたのはライヴバージョン。あまりフォークロックっぽくは聞こえません。ゴスペル調コーラスとか、結構ロックしてますね。でもメロディは、バーズがカバーしそうないいメロディです。
美しい⑫「4th Time Around」。イントロのハープ風アコギに感動。3拍子のワルツというアレンジもいいし。ホント、本作はいろいろな音楽が登場しますが、投げやりに歌うディランスタイルは不変です。
昔でいうところのD面(2枚組LPの2枚目の裏面)すべてを使った⑭「Sad Eyed Lady Of The Lowlands」。長尺曲の多いプログレの登場はまだ先のこと、当時片面すべてを使って1曲まるまるレコーディングしたケースはロック界にはなく、この曲がロック史上初…ということらしいです。11分17秒!
高校3年のとき、クラスで演劇をする機会があり(それが文化祭だったのか、何だったのか、全く記憶にないのですが)、映画「卒業」まがいのものをアレンジしたような記憶があります。私は音楽担当で、この時にサイモン&ガーファンクルを聴き込みました。もちろんチョイスした音楽はS&G中心。本作収録の「Kathy's Song」とか「April Come She Will」とか、採用したような…(ホント、記憶が曖昧ですみません)。
そんな中、ボストンのラジオ局で、S&Gのデビューアルバムに収録されていた「The Sound of Silence」が人気を集め始め、そんな動きにS&Gのデビューアルバムのプロデューサーのトム・ウィルソン(ボブ・ディランのプロデューサーでもあった)が敏感に反応。S&Gの許可なく、「The Sound of Silence」をバーズ風のフォークロックにアレンジしなおし、シングルとして1965年9月に発表(もともとの「The Sound of Silence」は完全なフォークソングだったのです)。これがなんと翌年に全米No.1を記録してしまうんですね。
オーティスといえば声を絞り出すようにして歌うバラードが代名詞のようになってますし、実際本作でも③「Tennessee Waltz」とか⑤「Try A Little Tenderness」といったバラードなんかが有名ですね。特に⑤はシングルカットされ、本作を代表するナンバーかもしれません。「Try A Little Tenderness」って、スタンダードナンバーなんですが、オーティスはサム・クックのナンバーをリアレンジしたと思われます。でも完全にオーティスのオリジナルって感じですよね。特に後半に向かって、熱唱していくリアル感が尋常じゃない。それをMG'sのバック演奏が見事にサポートしてます。「Try A Little Tenderness」のライブ映像をアップしておきますが、スリリングですよね。
「Try A Little Tenderness」の後半でもお分かりのように、やっぱり個人的にはオーティスの魅力はミディアム・アップ・テンポナンバーにあると思ってます。
④「Sweet Lorene」は、オーティスの死後発表され、大ヒットを記録した「Dock Of The Bay」のB面に収録されたナンバー。オーティスとアイザック・ヘイズの共作。お聞きの通り、アル・ジャクソン・Jrのドラムがシンプルながらも実にタイト。オーティスのシャウト気味のヴォーカルを盛り上げます。
⑧「She Put The Hurt On Me」はオーティスのオリジナル作品。ここでもアルのドラミングが楽曲をグイグイ引っ張ります。ドナルドのベースもいいですね。
アイザック・ヘイズの作品である⑫「Love Have Mercy」。ちょっと緊張感のあるコード進行のアップテンポなナンバー。ここでもオーティスの堂々たる歌いっぷりが素晴らしい。
1967年12月10日、オーティスは自家用飛行機事故によりこの世を去ってしまいます(ちなみに8人の搭乗者の内、トランペット奏者のベン・コーリーが唯一人無事だったのですが、その彼も昨年に死去されています)。オーティスはこの事故の3日前に「Dock Of The Bay」を収録しており、この曲は1968年1月にリリース。見事に全米No.1を記録します。今までの彼の作品(上記にアップしたような作品)とは一線を画すような楽曲に、メンバーの間でも意見が分かれたそうですが、オーティスは「初のナンバーワンソングとなる!」と仰っていたようです。この曲を聴くにつれ、オーティスはその後の作品の方向性をどう考えていたのか、気になります。きっと新しい展開が待っていたのでしょうね。
本作発表は1966年7月ですが、それより遡ること4ヶ月。同年3月にシングル「Eight Miles High」、邦題「霧の8マイル」を発表。この曲はサイケ・ロックともラガ・ロックとも呼ばれ、後にサイケ・ロックはウエストコーストロックの主流となっていきます。だからこの曲は、サイケの先駆けの1曲として、エポック・メイキング的な存在なんですね。
1曲目は「My Generation」的なノリを継承した①「Run Run Run」。ビート系バンドの香りがプンプンしますね。このギターの歪具合、ラウダーなドラム、ザ・フーらしい1曲。
後にベースのジョン・エントウィッスルのテーマソングにもなった②「Boris the Spider」。非常に気味の悪い楽曲です。不気味なリフをただ繰り返す他愛もない曲。でもザ・フーだからこそ、なぜか魅力的に聴こえてしまいます。この曲をうまくカバーすることなど無謀なことでしょう。
アップした映像、ピートが喋っているのに騒いでいる人間、キース・ムーンですね(笑)。
非常にポップな③「I Need You」は意外にも変人キース・ムーンの作品。キースはビーチボーイズが好きだったんですよね。それを知らなければ、なぜキースがこんなポップソングを・・・、と疑問に思ってしまうかもしれません。それにしてもこの曲のドラムもうるさい(笑)。
エンディングが洒落てます。
⑥「Cobwebs and Strange」はまたまた変人キースの個性が発揮された楽曲。楽曲っていうか、拙いマーチングソングですかね(笑)。エンディングでキースが暴れてきます。ドラマーが作った作品ですね。
ヴォーカルのロジャーが作った⑧「See My Way」。作品自体は並みですね。やっぱりザ・フーのライティングはピートしかいない。
非常に評価の高い1曲が⑨「So Sad About Us」。これも初期ザ・フーの隠れた名曲かもしれません。ピートの裏打ちするカッティングギターがかっこいいですね。
アップした映像は演奏も荒く、ジョンとのコーラスも下手くそなんですが、やっぱりザ・フーらしい荒々しさがかっこいい。このコーラスは愛らしく、実はザ・フーの持ち味だったりするのですが、ちょっと意外感があっていいですね。
そしてエンディングは組曲⑩「A Quick One While He's Away」。しかもイントロはビーチボーイズばりのコーラスを披露します。
本作予定収録曲の録音を終了したところ、10分程度楽曲が足りなくなってしまったことから、寄せ集め的にストック曲を繋いだという、曰くつきの楽曲。でもなかなかよく出来てますね。
アップした映像は1967年6月の有名なモンタレーポップフェスティヴァルでのライヴ。このライヴで彼等は機材を見事に壊し、以降彼等の破壊活動は定番となってしまいました。またこのモンタレーではジミヘンと出演順番を争ったというエピソードも残されてます。
それにしてもここでもキース、暴れてますね。彼ってハイハットでリズムをキープしたことがあるのでしょうか。常にライドシンバルでノイジーにリズムを刻んでいるような・・・。
バッファロー・スプリングフィールドの作品のなかで、恐らく一番有名な楽曲が①「For What its Worth」でしょう。ただしこのアルバムが発表された時点では、この楽曲は収録されておらず、後にシングルヒットしたことから急遽1967年4月にこのデビューアルバムに収録されることになったようです。 スティーヴン・スティルスのロサンゼルスでの暴動をモチーフにした作品で、やっぱりこの曲だけ、このアルバムのなかでは浮いた感じがします。淡々と歌われ、商業的な匂いはあまり感じられません。でも絶妙なハーモニー、味わい深い演奏は、超一級品の作品の証だし、素晴らしい名曲ですね。 貴重な映像を発見しました。何が貴重かって、動くバッファローの映像自体もそうなんですが、この映像の最初の司会者・・・、誰だと思います?? そうです、モンキーズのピーター・トークです!!! 何がスゴイって、スティーヴンとピーターはかつて一緒にバンドを組んでいた盟友ですが、スティーヴがモンキーズのオーディションに落ちて、ピーターが受かった話はあまりにも有名ですよね。そのピーター、当時は人気絶頂期にあったモンキーズの人気者。その彼が(恐らく)友人として登場したんでしょうね。 あとこのライヴ、デヴィッド・クロスビーらしき人物も演奏してますね。興味深い映像です。 (この1967年6月のモンタレー・フェスティヴァルの時点で、二ール・ヤングはグループを脱退していたようです。その代役でクロスビーが参加しているのですね。のちのCS&Nに繋がるきっかけとなった映像。)
②「Go and Say Goodbye」、この曲が正確にはこのアルバムの1曲目でした。どうですか? 1曲目と印象が違いますよね。ビート系バンドの香りのする楽曲です。ちょっとカントリー風味な味付けが個人的には好みなんですが。
ちょっとメランコリーなニール・ヤング作の④「Nowadays Clancy Can't Even Sing」。なぜかリードヴォーカルはリッチー・フューレイ。確かにアクの強いニールが歌うと、この曲の持つイメージが崩れるかもしれませんね(笑)。
⑦「Flying on the Ground Is Wrong」もニール作。でもエッジは効いてないし、優しさ溢れるポップチューンに仕上がってますね。これもヴォーカルがリッチーのおかげでしょうか。こうした楽曲を聴いていると、当初のバッファローはコーラスが美しく、ポップだという点において、ホリーズに近いイメージなのでしょうか?
スティーヴン作⑫「Pay the Price」。モンキーズそっくりだ~(笑)。対抗意識があったのでしょうか。後のスティーヴンやニールの作風からすると、ちょっとビート系ポップな感じは違和感があります。
このグループの秀逸な点はジョンの楽曲とカバーアレンジのセンスです。このアルバムにもカバー曲が数曲収録されてますが、どれもなかなかのアレンジです。
④「I Call Your Name」は言わずと知れたビートルズのカバー。ただし原曲からは想像が付かないキャス色の強い、ちょっとソウルフルなアレンジです。陽気なピアノは故ラリー・ネクテル。
映像は1967年のモンタレー・ポップ・フェスティバルにおけるライヴ映像。ママ・キャスのデカイこと(笑)。彼女は業界の母親的存在だったようですね。
カバー曲が続きます。⑤「Do You Wanna Dance」はビーチボーイズのカバーで有名なボビーフリーマンのロックンロールナンバー。なのにここでの「Do You
Wanna Dance」はスローテンポなママパパのオリジナルと間違うくらいの華麗なコーラスが聴けます。
もともとはこちらがデビュー曲となる予定であった⑥「Go Where You Wanna
Go」。もちろんジョンのオリジナル。ママパパらしいフォークロック的なポップス。この曲も大好きなんですよね。コーラスが非常にスリリングです。
後に「黒いママス&パパス」と呼ばれたフィフス・ディメンションがカバーしました。
本作にはデビュー曲の⑦「Last Train to Clarksville」や彼等のテーマソングの①「(Theme From) The Monkees」も収録されてます。それらのクオリティが相当高いのは当たり前としても、これら以上にマイクの2曲はオリジナリティが光ってますね~。
あと忘れてならないのはディビーのヴォーカルがスィートな2曲、③「I Wanna Be Free」と⑩「I'll Be True to You」。「I Wanna Be Free」はイントロのアコギがなんとも物憂げで、楽曲として相当レベルが高い名曲。そして「I'll Be True to You」はあのラス・タイトルマンが作曲した甘いポップス。