音楽の杜:19812023-10-03T23:01:25+09:00240_850代の洋楽フリーク。AOR、ソフトロック、フュージョン、ハードロック等、よい曲なら何でも聴きまくる雑食派。好きな音楽を徒然なるままに書き綴っていきます。Excite BlogOzzy Ozbourne「Diary Of A Madman」(1981)http://y240.exblog.jp/32542090/2022-04-02T06:33:00+09:002022-04-02T06:33:18+09:002022-04-02T06:33:18+09:00240_81981
さて先月3月19日、ランディ・ローズ没後40年ということで、ヤングギター4月号が渾身の120頁超に及ぶRR特集を組みましたが、それが非常に読み応えがあるものでした。特にランディに想いを寄せるルディ・サーゾ、ブラッド・ギルス、イングヴェイ・マルムスティーン、ジョン・サイクス、ウォーレン・デ・マルティーニのインタビューは感慨深いものがありましたね。恐らくこのブログをご覧頂いている方々の多くは、ハードロックに興味がない、もしくはランディ・ローズをご存じない方も多いと思われますので、ランディの素晴らしさを知ってもらいたく、ランディ在籍時のオジー・オズボーンのアルバム「Diary Of A Madman」をご紹介致します。
実はこのアルバム、過去に1度ご紹介済(拙い記事はこちら)ですが、その記事が殆ど作品の素晴らしさに言及していないものでしたので、改めてここに本作の素晴らしさ(というかランディの素晴らしさ)を記しておきたいと思います。
またオジーのオーディションにも、親友に請われて参加しただけで、それほどの熱意もなかったようでした(当時、クワイエット・ライオットにも在籍していたので)。それが、ランディが指慣らしをしていただけでオジーの直感で採用となり、1980年3月、すぐに「Blizzard Of Ozz」の制作に入ります。ランディのクラシカルなプレイが、オジーの考える様式にマッチしていたのでしょうね。同アルバムは1980年9月に発表され、ランディ・ローズのその斬新なプレイは瞬く間にエディ・ヴァン・ヘイレンと並び称されるものとして、ギターキッズに受け入れられました。そしてこのセカンドは翌1981年2月から制作に入り、1981年11月に発表されたのでした。
前作に続き、本作の布陣はヴォーカルにオジー、ギターにランディ、ベースにボブ・ディズリー、ドラムにリー・カースレイク。但し本作発表を前にボブとリーは解雇され、代わりにルディ・サーゾとトミー・アルドリッジが加入するのでした。正直、「Blizzard Of Ozz」にしても本作にしても、二人のプレイは素晴らしいものだったし、特にボブの作曲への貢献度は非常に大きかったと思います。後にオジーとこの二人の間で裁判沙汰になってしまったことは残念ですね~。
(③④以外はメンバーの共作。③④もオジー・ランディ・ボブの共作です。)
ファーストシングルの名曲②「Flying High Again」。この曲が大好きという方も結構いらっしゃるのではないでしょうか。オジーらしいポップなハードロック。
近年のオジーは下にアップしたようにYouTube向けの映像を積極的にアップされているようです。この映像はランディを追悼するもので、静止画をコラージュしたような映像ですが、結構楽しめます。この曲もランディのギターソロがめちゃめちゃ光ります。ライトハンド奏法も見事!
ちなみに下の映像はランディ在籍時の貴重な「Flying High Again」の演奏シーン。ベースは盟友ルディ・サーゾ、ドラムはトミー・アルドリッジの布陣。2分9秒過ぎからランディのギターソロが楽しめます。圧巻!
https://www.youtube.com/watch?v=kAcgHOXZtEM
かなりブラック・サバスっぽい④「Believer」。
https://www.youtube.com/watch?v=Y6U-id_iUwQ
イントロがヴァン・ヘイレンの「Runnin' With The Devil」に似ていなくもない。やはり印象的なのはボブのベース。ボブのプレイはかなり曲にインパクトを与えるものが多いですね。そして3分過ぎからのランディの迫力ある速弾きギターソロに圧倒されてしまいます。ギターソロもカッコいいですが、ここでのギターリフも凝ってますね。
ジェフの力強いドラムが曲をグイグイ引っ張っていく①「Meet Me After Midnight」。私はあまりコード進行に詳しくないですが、サビが何か微妙に凝っているような気がします。ヤコブが只者ではないと感じさせますね。
イントロこそ、ちょっと緊張感あるアレンジですが、ホーンの使い方とか典型的なAORの③「Old Jack Magnet」。曲のエンディングではビル・チャンプリンのコーラスがかなり目立ってきます(怒鳴っているように聞こえます)。
本作ではジェイ・グレイドンがコンポーザーとして1曲だけ関わってます。その曲が④「From Now On」。ヤコブ、ジェイ、リチャード・ペイジ&スティーヴ・ジョージ(つまりペイジス)の作品。爽やかな朝に聴きたい1曲。ここでもジェリー・ヘイのホーンがいいですね。ヤコブのキーボードソロも心地いい。AORファンの私としてはこの曲が一番おススメですね。
本作が発表される前年、キム・カーンズはケニー・ロジャースとのデュエット「Don't fall in love with a dreamer」でようやく陽の目を見ることになりました。ケニーがキムに作曲を依頼して、せっかくなのでキムにデュエット相手になってもらったもの。それまでのキム・カーンズはSSW系シンガーとして、そこそこのヒットは記録するものの、地味な存在でした。もともとキム・カーンズは相当キャリアの長い人で、60年代から活動、特に60年代後半に在籍していたバンド、ニュー・クリスティ・ミンストレルズでは他にジョン・デンヴァー、ケニー・ロジャース、元アソシエーションのラリー・ラモス、元ラヴィン・スプーンフルズのジェリー・イェスター、そして後にキムの旦那となるデイヴ・エリントンが在籍してました。つまりケニーとは旧友。その旧友が10年以上の月日を経て、キムにスポットライトを当ててくれたのです。
もちろんこのアルバムのオープニングは「ベティ・デイヴィスの瞳」なんですが、まずはちょっと意外なカバーをご紹介致します。尚、エキサイトブログは、最近、1記事に対してYouTubeの貼り付けが1つに限定されてしまったので、2つ目以降は曲にリンクを張っておく対応をしておきますのでご容赦下さい。
その意外なカバーがエンディングの⑩「My Old Pals」。恐らくほとんどの方がご存じないと思うのですが、この曲、Funky Kingsのカバー。Funky Kingsって、イーグルスのフォロワー的な存在で、あのジャック・テンプチンが在籍していたバンドで、この曲はメンバーのリチャード・ステコルの佳作。
ここではキムがピアノを弾いてます。「ベティ・デイヴィスの瞳」のイメージで聴くと、きっと驚かれるでしょう。でもひょっとしたらこれが本来のキム・カーンズの姿なのかもしれません。いい曲ですね。
ということで、最初に戻って、大ヒット曲の①「Bette Davis Eyes」です。皆さん、ご存じのようにこちらはジャッキー・デシャノンのカバーです。しかも大胆にアレンジし直したもの。まさにヴァル・ギャレイが思い描いたサウンドで、彼のマーケティングがズバリ的中。世紀の大ヒットナンバーとなりました。恐らく一番驚いたのが、ジャッキー本人だったのではないでしょうか。ジャッキーのオリジナルは1974年に発表されたものですが、これがまた全く違う印象の楽曲なんです。ですから1982年に彼女がグラミー賞の最優秀楽曲賞を獲得したことはラッキーだったかもしれません。
ちなみにヴァル・ギャレイって、ピーター・アッシャーの秘蔵っ子と云われていた人物で、彼の専属のエンジニアとして実力を発揮していました。実は前述のFunky KingsのアルバムのMixはヴァル。ウエストコーストのSSW系のアーチストの多くにヴァルは携わっており、エンジニア出身だけに、音に関しては相当自信があったのではないでしょうか。ヴァルもピーター・アッシャーから独立した最初の作品が本作だったわけで、相当気合が入っていたんでしょうね。
②「Hit And Run」もジャッキー・デシャノンが提供した楽曲ですが、これは書き下ろしでしょうか。80年代のポップスって感じがします。①と②が同じ作者だとは全く思えませんが、①のジャッキーのオリジナルを聴けば、なんとなく同じ作者だと理解出来ます。
④「When I'm Away From You」はフランク・ミラーのカバー。本来の彼女らしい、ちょっとフォーキーなロックナンバー。力強いアコギはダニー・コーチマーです。
ここまで偶然にもカバー曲でしたが、キム・カーンズは本来はイイ曲を書く人。⑤「Draw Of The Cards」はキムとダンナのデイヴ、ビル・クオモ、ヴァル・ギャレイの作品。これもヴァルが共作者に入ってることから、彼の志向が強く出た作品かもしれません。「Bette Davis Eyes」と同じ、ちょっとニューウェーブ的な要素が加わった作品。最後の笑い声なんて不気味ですね。これも80年代らしい楽曲と云えるでしょう。
本作で一番のお気に入りは⑥「Break The Rules Tonite (Out Of School)」。コレ、実にウエストコーストのミュージシャンが好きそうなロックンロールナンバーです。これもキムとデイヴ、そしてウェンディ・ウォルドマンの共作。まさかウェンディまで登場するとは。ウェンディはカーラ・ボノフやアンドリュー・ゴールド、ケニー・エドワーズとバンド(ブリンドル)を組んでましたね。恐らくこの辺りの方々は皆、人脈で繋がっていたんでしょうね。
]]>George Harrison「Somewhere in England」(1981)http://y240.exblog.jp/30591763/2019-11-30T22:51:00+09:002023-07-05T22:43:48+09:002019-11-30T22:51:53+09:00240_81981
さて、最近はAmazon Musicで洋楽を聴き始めた頃の楽曲を聴いてます。今日はその中の1枚、ジョージ・ハリスンの曰く付きの1枚をご紹介します。
ちょうど洋楽を聴き始めた頃、1980年12月、ジョン・レノンが暗殺されてしまいました。確か当時、ジョンの「Starting Over」がヒットし、その死を挟んで「Woman」がシングルカットされたかと思いますが、「Woman」の切ないメロディは、中学生の私でも、ジョンの死の悲しみを一層掻き立てるものでした。その後、ジョンの追悼歌として発表されたジョージの「All Those Years Ago」は、明るいブギー調のポップソングで、これまた私の心を捉えました。
このアルバムにはジャズ・ピアニストのホーギー・カーマイケルの楽曲が2曲収録されてます。なぜホーギーなのか、ちょっと分かりませんが、その内の1曲が⑨「Hong Kong Blues」。
https://www.youtube.com/watch?v=7HRjvDBWJQA
あの細野晴臣さんも1976年にカバーしてますね。まさかジョージが細野さんのバージョンを聴いてカバーした…なんてことはないとは思いますが、ジョージの解釈は、よりポップなナンバーにアレンジしてますね。
アルバムトップは80年代のストーンズを代表する1曲、①「Start Me Up」。イントロを聴いただけで、あの80年代初頭の洋楽ブームを思い出します。この曲は1977年の「Some Girls」のアウトテイク。こんな名曲がアウトテイクだったなんて、ちょっとビックリですね。当時のPVをアップしておきます。ミックのエアロビクス風の恰好はカッコいいのでしょうか(苦笑)。
ファンクチューンの③「Slave」。こちらは1975年の「Black And Blue」のアウトテイク。こうした楽曲のチャーリー・ワッツのシンプルなドラム、いいですね~。ちょっとソウルフルなコーラスもいい味だしてます。このコーラスにはザ・フーのピート・タウンゼントが参加。あとカッコいいファンキーなサックスはなんとソニー・ロリンズ!! ソニーは本作で、3曲参加してます。ミックが、ジャズ通のチャーリー・ワッツに「サックス、誰がいい⁇」って聞いて、チャーリーは絶対無理だろうと思いつつ、「ソニー・ロリンズ」と答えたら、本当にソニーが参加した…という逸話も。
本作のための書き下ろし新曲の⑥「Neighbours」。ストーンズにしてはスピーディーなナンバー。
いぶし銀的な⑪「Waiting On A Friend」。邦題「友を待つ」。こちらも人気のあるナンバーです。味のあるメロディ、演奏(ここでのソニー・ロリンズの名演も素晴らしい)、こうしたストーンズもいいですよね。ベースの演奏は1972年と結構古いんです。
]]>Rick Springfield 「Working Class Dog」 (1981)http://y240.exblog.jp/30302467/2019-06-02T14:08:00+09:002019-06-02T14:08:56+09:002019-06-02T14:08:56+09:00240_81981
リックの代名詞的なアルバム「Working Class Dog」は実は彼のデビューアルバムではありません。なんと5枚目のアルバム!リックの音楽キャリアはかなり長く、60年代まで遡ります。1969年、母国オーストラリアでズートというバンドを結成し、ローカルバンドとして人気を博し、1972年に渡米。キャピタルレコードと契約するのですが、アイドル歌手として売り出したいレコード会社と、ハードロッカーとしていきたいリックとの間で衝突。発表するアルバムは全くセールスが伸びず、最後はダメだしを喰らってしまいます。そんなとき演劇学校にも通っていたリックに、昼メロドラマのオファーが…。それが「ジェネラル・ホスピタル」のDr.ドレイク役だったわけです。
ちなみにリックが「ジェネラル・ホスピタル」に出演していた時期が1981年~1983年。そして本作制作は1980年夏、発表が1981年2月。ドラマでブレイクしたから、本作が制作出来た…というわけでもなく、ほぼ同時期に音楽業も俳優業も動き出した…ということなのでしょうか。だとしたらリックも相当ラッキーな人物。
さて、本作の内容ですが、まさにアメリカン・ロック。後に産業ロックと揶揄されるようなジャンルに区分けされるかもしれませんが、分かり易いストレートなロック。アルバムトップの①「Love Is Alright Tonite」はアルバム全体を象徴するようなナンバー。アップした映像のリック、やっぱりカッコイイですな~。俳優が本業だと思い込んでいた奥様連中が、騒いでいたというのも理解出来ますね~。
この曲のみサミー・ヘイガーの作品の⑤「I’'ve Done Everything For You」。サミーのバージョンとはあまり違いがありません。確かにリックの音楽と、当時のサミーの作風は似ています。サミーとはキース・オルセン繋がりでしょうか。アップした映像はPVですが、当時流行りまくっていたMTV受けするような作りですね。
少しラテン・フレイヴァーが感じられる③「Break The Chain」。一瞬ドゥービーの「Long Train Running」にも聞こえるパートもあったりと、これもコーラスやホーンがカッコいいロックナンバー。ジムの乾いたテレキャスの音も最高です!!
こうしたラテン・フレイヴァーな楽曲は⑥「Lovin' You Every Minute」なんかにも通じます。
①~③の展開からは一転、リラックスモードの④「Child Of My Dreams」。フォーキーで、ちょっとカリプソ的な香りも。ポーリンのコーラスも味わい深い。私のお気に入りのナンバーです。アップした映像、なかなか楽曲に合っていていいですね。
エンディングトラックはバラードの⑨「Move Into Your Heart」。ジムの声質って、なんとなくカントリー系の香りがします。1981年に発表された楽曲なんですが、この曲もジムが歌うと初期イーグルスのような、70年代のカントリータッチのバラードに聞こえてしまいますね。
]]>Duran Duran 「Duran Duran」 (1981)http://y240.exblog.jp/28805858/2017-12-28T23:10:00+09:002017-12-28T23:10:43+09:002017-12-28T23:10:43+09:00240_81981
そのデュラン・デュラン。実はまだ現役バリバリで、ついこの前の9月にも来日してました。そして驚くべきことにメンバーはギターのアンディを除くオリジナルメンバー4人が勢ぞろい。ドラムのロジャーはショービズに飽き飽きして農夫に転身したと思っていたのですが(笑)。アイドルバンドと思いきや、皆、結構本格的なバンドマンだったんですよね。
そんな彼らのデビューアルバムをじっくり聴く機会があったので、(今更ですが)ご紹介しておきます。
デュラン・デュランって、ニック・ローズ(Key)がバンド・リーダーだったんですね。1978年のバンド結成当時からのメンバーはニックにジョン・テイラー(B)。しかもジョンは当時はギターだったらしい。それからロジャーにアンディ、最後にサイモン・ル・ボンが加わり、バンドメンバーが固定化。地元のクラブを演奏しているところを見出されて、1981年にメジャーデビューを果たします。そのデビューアルバムが本作。
ちなみに私が所有しているCDは、セカンドアルバム「RIO」の米国での大成功後、再リリースされたUS 1983 Capitol re-issue盤。よって1983年の大ヒットナンバーの⑤「Is There Something I Should Know?」が収録されてます。あしからず。
それにしてもゲイリー・バーデンのヴォーカルは賛否両論、マイケルとはウマが合うのでしょうか。個人的には??のヴォーカリスト。グラハム・ボネット、マイケル・シェンカー、コージー・パウエルの3巨頭のバンドを見てみたかった…。
最後に本アルバムからの曲ではありませんがMSGでのコージーのプレイをどうぞ。曲は名曲「Into The Arena」。
まずはアルバムトップの①「Let It Go」。ブリティッシュ・ロックらしい翳りを感じさせるロックンロール。次作「炎のターゲット」は、こうしたサウンドをよりキャッチーにした感じ。このブリティッシュ・ロック特有の翳りは、アルバム全編を通じて感じさせ、そういった意味では本作、まさに前夜祭的なアルバムです。
ポップでソウルフルでもある①「Breakin' Too Many Hearts」は後期ドゥービーブラザーズが好んで演奏しそうな楽曲。つまりマイケル・マクドナルドっぽい曲。ファーストソロではローレン、マイケルとデュエットも披露してましたね。実はこの曲、1979年にニコレット・ラーソンに提供していた楽曲。ニコレットより、より洗練されたソウルフルなAORナンバーとなってます。イントロのクリアーなギターはクラッキンのブライアン・レイのプレイ。ブライアンは今ではポール・マッカートニー・バンドのギタリストとして有名です。ローレン・ウッドというと翳りのある「Fallen」のイメージが強いのですが、こうした明るいポップソングも歌っていたんですね。個人的にはこの掴みの1曲、大好きです。
マイケル・マクドナルドが多用したキーボード・リフをモチーフとした③「Work on It」。こちらはロビー・デュプリーとのデュエット。オシャレなナンバーですね。こちらもソウル・シンガーのマキシン・ナイチンゲールに提供していたナンバー。
豪快なホーン・アレンジが印象的な⑤「Never Been So in Love」。もちろんシーウィンド・ホーンズですね。この曲なんかは相当ソウル色が濃いと思うのですが、如何でしょう。
プロデュースはAC/DCを手掛けたことで有名になったロバート・ジョン・マット・ランジ。本作発表は1981年7月。そして実はデフ・レパードの「High'n'Dry」も1981年7月。デフ・レパードもロバートが手掛けたので、彼は同時期に2つのプロジェクトを進めていたということですね。しかもフォリナーはニューヨーク、デフレパードはロンドンで収録が進められていたので、ロバートも相当多忙を極めていたのであろうと思われます。ちなみにロバートは「4」のビッグヒット、そしてデフレパードのビッグヒットとなった次作「Pyromania」も手掛けたことで、一気に超売れっ子となっていき、シャナイア・トゥエインの旦那さんにもなってしまいました(笑)。
本作からは⑥「Urgent」と④「Waiting For A Girl Like You」のビッグヒットが生まれましたが、特にバラードの④「Waiting For A Girl Like You」なんかは、往年のフォリナーファンからしたら、ビックリしたでしょうね。https://www.youtube.com/watch?v=ezqHuHTxFas&t=3s
特に曲を通じて印象的なのが、従来に見られなかったシンセ。このシンセ、実はまだデビュー前のトーマス・ドルビーが手掛けてます。トーマスが、これらで得た報酬で、デビュー作を制作したエピソードは有名ですね。ハードロックバンドのひとつの違う展開の仕方として、こうした楽曲もアリかなと思ってます。
⑥「Urgent」もよく聞くとハードな音作りなんですが、シンセや間奏のサックスなんかに惑わされてしまいます。ドラムの音はロバートらしく、デフ・レパードのそれと酷似してますね。
こうした音作りが商業ロックと呼ばれる所以でしょうか。でもこの曲なんかはギリギリセーフ、むしろカッコいいとも思います。
アルバム最後のトラックである⑩「Don't Let Go」、やっぱり初期のハードな香りと重厚なコーラスを残しつつ、シンセが適度に「4」っぽい。これくらいのロックなら、かっこいいという範疇に入るし、むしろ私の好みですね。
https://www.youtube.com/watch?v=rAqr0skaQek
アルバムトップの①「Who Will It Be」は、どことなくマイケル・マクドナルド風のキーボードリフ、ヴォーカルスタイルを感じさせつつ、マクサスとかTOTO系のハードな部分もあったりして…。少なくともファーストのソウルフルな要素は感じさせませんし、ここでのジョンのヴォーカルは、スティーヴィー・ワンダーに似ているとも思えません。個人的には凡庸な楽曲に聞こえてしまいます。
こんな感じのアルバムなのかな~と思ったら、②「Did She Mention Me」はポップな爽やかなAORナンバー。ポップス好きな私にとっては、このテの楽曲、大好きです。分かりやすいサビに、爽やかで愛らしいコーラス、間奏はギターソロかと思ったら、トランペットと意表を付く展開、いいですね。
本作では前述のマイク・ピシリロが6曲、ジョンが4曲楽曲提供しており、⑤「Best for Me」はジョン自身の作品のバラード。冒頭のサックスソロからAOR系バラードの匂いがプンプンしますね。
⑨「Make It Up to You」もジョンの自作ナンバー。こちらもスティーヴィー・ワンダーばりのヴォーカル、そして楽曲も一瞬スティーヴィーっぽいメロディがあったりします。力強いピアノとドラムが印象的。そしてラストナンバーの⑩「Fight for Love」はサビがなんとなく当時流行っていた商業ロックのような感じも…。サビだけ、ジョンのイメージからかけ離れているような…。
私はこの良質なAORアルバム、ファーストより好きかもしれません。ただしこのアルバム、なぜか米国では発売中止となったんですよね。ジョン・ヴァレンティ自身が、本作を好まなかったものと思われますが、以降、ジョンは音楽シーンから姿を消してしまいます。邪推ですが、敏腕プロデューサーの逆鱗に触れて、シーンから締め出されたんでしょうか…。ジョン自身はシカゴソウルのような音楽を、マイペースでやっていきたかったのでしょうかね。
]]>Jaco Pastorius 「Word Of Mouth」 (1981)http://y240.exblog.jp/25778872/2016-07-10T13:42:00+09:002023-10-03T23:01:25+09:002016-07-10T15:36:48+09:00240_81981
衝撃のファーストソロから5年。本作は実験的なナンバーも増え、ファーストよりも革新的なアルバム、と言えるでしょう。
本作中、一番ハードなナンバーの⑥「Word of Mouth」。ベースにディストーションを掛けて、ベースというより、ギターソロのような音色を聞かせてくれます。ジャコ流ハードロック!
https://www.youtube.com/watch?v=9WVQAjfkQxA&t=26s
⑦「John And Mary」、タイトルはジャコのお子さんのお名前です。そしてイントロの子供の声で、お二人が登場してます。
https://www.youtube.com/watch?v=XOQIipmkZNI
]]>The Clarke Duke Project「The Clarke/Duke Project」(1981)http://y240.exblog.jp/24582898/2015-08-21T22:04:00+09:002022-11-23T07:24:45+09:002015-08-21T22:03:59+09:00240_81981
スタンリー・クラークは、チック・コリア率いるリターン・トゥ・フォーエバーでの超人的なベースプレイで注目を集めた人物。一方ジョージ・デュークも60年代から活躍する著名なピアニスト。この二人、1975年、スタンリーのソロアルバム「Journey To Love」で、ジョージがゲスト参加したことが最初の共演。本作発表までに、相当な親交があったことは間違いありません。