またオジーのオーディションにも、親友に請われて参加しただけで、それほどの熱意もなかったようでした(当時、クワイエット・ライオットにも在籍していたので)。それが、ランディが指慣らしをしていただけでオジーの直感で採用となり、1980年3月、すぐに「Blizzard Of Ozz」の制作に入ります。ランディのクラシカルなプレイが、オジーの考える様式にマッチしていたのでしょうね。同アルバムは1980年9月に発表され、ランディ・ローズのその斬新なプレイは瞬く間にエディ・ヴァン・ヘイレンと並び称されるものとして、ギターキッズに受け入れられました。そしてこのセカンドは翌1981年2月から制作に入り、1981年11月に発表されたのでした。
前作に続き、本作の布陣はヴォーカルにオジー、ギターにランディ、ベースにボブ・ディズリー、ドラムにリー・カースレイク。但し本作発表を前にボブとリーは解雇され、代わりにルディ・サーゾとトミー・アルドリッジが加入するのでした。正直、「Blizzard Of Ozz」にしても本作にしても、二人のプレイは素晴らしいものだったし、特にボブの作曲への貢献度は非常に大きかったと思います。後にオジーとこの二人の間で裁判沙汰になってしまったことは残念ですね~。
イントロがヴァン・ヘイレンの「Runnin' With The Devil」に似ていなくもない。やはり印象的なのはボブのベース。ボブのプレイはかなり曲にインパクトを与えるものが多いですね。そして3分過ぎからのランディの迫力ある速弾きギターソロに圧倒されてしまいます。ギターソロもカッコいいですが、ここでのギターリフも凝ってますね。
☆naruru-katoさん、コメント有難うございます。
コージー・パウエルを崇拝していた私は、レインボーやマイケル・シェンカー(もちろんコージー在籍時の)を当時も今もよく聴いてます。それと同じようにランディも大好きなので、ランディ在籍時のオジーの2枚をよく聴くのですが、逆にいえば他のオジーのアルバムはあまり聴いてませんね~。
「Kill The King」は私も大好きです。あれはすっきりしますね(笑)。
☆星船さん、コメント有難うございます。
多分星船さんだと、この後に大ヒットした「Bark At The Moon」なんかが印象深いんじゃないでしょうか。あとこの後に続くLAメタルと言われたバンドたち。
ラットやモトリークルー、新生クワイエット・ライオットはヒットチャートも賑わしましたね。そういう意味ではランディの在籍していたオジー・バンドがその先駆けだったような気がします。
☆blackmore1207さん、コメント有難うございます。
結局ボブとリーに対して楽曲の権利を渡す渡さないで揉めに揉め、曰く付きのアルバムになっちゃいました。仰る通り内容は素晴らしいし、ヤングギターのウォーレン・デ・マルティーニのインタビューによると「アレンジについて心得ているボブの存在は極めて重要だった。彼がすべてをまとめていたと思う」と語ってます。やっぱりボブとリーの本作への貢献は大きいと思うんですよね。
ちなみにリー・カースレイクは末期癌と診断され、死ぬ前に「Blizzard Of Ozz」と「Diary Of A Madman」のプラチナアルバムの認定証を壁に掛けたいとオジーに直訴し、この権利問題を解決しました。そしてリーは2020年9月に亡くなっております。