11日PM2:46、私は名古屋の勤務地におりましたが、かつてないほどの目眩を伴うような揺れに一瞬恐れをなしてしまい、てっきり震源地が近いのかと思ったら東北・・・。
そしてすぐに千葉の自宅は・・・との思いに捉われ、すぐに自宅へ電話しましたが、誰も出ず・・・。それから幾度となく自宅や携帯に電話するも全く不通の状態に。
PM7:00過ぎに東京に住む妹、それから自宅近くに住む父、そしてPM7:30過ぎにようやく自宅へ連絡が取れ、無事を確認。それにしても携帯電話の通信網のなんと脆弱なことか(12日も昼過ぎまで千葉は携帯電話が使えませんでした)。改めて家族は近くにいたほうがいいと認識させられました。
ちなみに我が家のワンコは一人留守番をしていたらしく、妻が帰宅した際には姿形が見えず、しばらく経って、のっそりと押入れから出てきたとのこと。よほど怖かったのでしょう。
11日はそもそも新幹線で帰宅予定だったのですが、全く交通機関がマヒ状態のため、急遽12日始発の新幹線で帰ることにしました。
AM6:20、名古屋発の新幹線で東京へ。ところがその東京駅でも帰宅難民が至るところに。また動き始めた電車に乗ろうにも、ホームは人で溢れ、階段にまで、その人の群れは続いてました。
悩んだ末に動き始めた東西線に乗り、とりあえず千葉方面へ。何度も何度も途中で止まり、我が家へ着いたのは昼前。その我が家も玄関の土台が壊れ、家の中はグチャグチャに。特に私の部屋のCDはとんでもない事になってました。
実は阪神大震災も被災した私にとっても、今回の震災は重い何かを感じます。非常に不謹慎かもしれませんが、資本主義・拝金主義の世の中、与党も野党も目先のことしか考えてない政治家、何もかもが何かを忘れてしまっていた日本人・・・。それらに対する自然の罰なのか・・・、超満員電車に揺られながら、そんなことを考えていました。
テレビの画面から映し出される光景に、ただただ呆然とするばかりで、涙が溢れてきてしまいます。ここ千葉も余震は続いてます。震源地近くの方々はもっと不安なことでしょう。被災された方々に心からお悔やみ申し上げるとともに、一日も早い復興を願ってやみません。
(しばらくブログ更新は途絶えるかもしれません。気持ちが晴れた頃に再び更新を開始致します。)